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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1101号 判決 1957年12月24日

原告 山添博司 外三名

被告 茂木利二 外一名

主文

被告等は各自、原告山添とらに対し、金三九三、一六六円、同博司、同恵司、同正三に対し、各金一九六、五八三円及びこれに対する、被告会社は昭和二九年二月一五日、被告茂木は同月二四日以降、右完済まで年五分の金員を支払うべし。

原告等のその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は被告等の負担とする。

この判決は勝訴の部分についていずれも仮りに執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告等は、各自、原告山添とらに対し金一一七三、〇〇〇円、原告山添博司に対し金六三六、五三〇円、原告山添恵司及び原告山添正三に対し各金五三六、五三〇円、及びこれに対し被告会社は昭和二九年二月一五日、被告茂木は同年同月二四日以降完済まで年五分の金員を支払へ、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

一、被告利二の過失による山添庄衛の死亡

1  原告とらの夫でその他の原告等の父である訴外山添庄衛は昭和二十八年七月二十三日午後五時半頃、道路横断中を被告茂木の操縦する乗用自動車に衝突されて重傷を受け直ちに医療手当を受けたがついに同日午後八時頃死亡した。

2  右交通事故は被告茂木が業務上なすべき注意義務に違反したため生じたものである。即ちこの頃、原告博司(昭和二〇年二月二七日生)は世田谷区太子堂の渡辺外科に盲腸炎で入院中であり、原告とらはこれに添附い、原告恵司(昭和二三年一〇月四日生)と同正三(同二六年一月三日生)も昼間は同病院に在り、山添庄衛は勤務先池貝鉄工株式会社三田工場よりの帰途右医院に立寄り原告恵司と同正三とを連れて世田谷区上馬町一丁目五〇九番地に在る池貝鉄工所朝日寮に帰宅する習慣であつた。昭和二八年七月二三日にも庄衛は右医院に立寄り右両名を連れて朝日寮に帰る途中で、世田谷区上馬町一丁目六三九番地附近の玉川電車中里停留所で電車から降り南方に向つて道路を横切ろうとしたところ、同人の向つて横側(庄衛の右の方面)附近にバスが停車しており、その南方を自転車一台が通行していた。当時庄衛の左の方から走行する車馬もなかつたし、バス、自転車の方から走つて来る車も見えず、もしあるとすれば道路の殆んど南端に近接せねばならぬ状況であつた。しかるに、庄衛がこの道路を渡る途中、はからずも被告茂木の運転する乗用自動車はバスと自転車との南方を時速三十四、五キロで走行し来り、前示バスの停車位置を過ぎてもそのまま進行して道路南側を疾走したため庄衛は直ちにこの自動車に激突されるの余儀なきに至つたのである。

自動車運転手なる者は、その運転上深甚な注意を用い、事故の未然防止をする業務のあることは勿論であつて、殊に被告茂木の運転し来つた自動車の前方にはバスがあり、その前方は予見できず、従つて、このバスの前方で道路を横切ろうとする者の有無につき十分の注意なし、その運転速度についても緩行の措置を採るべきは勿論である。しかし、被告茂木は、バス前方を視察できないのに漫然と、三十四、五キロの時速で、しかも道路右側を進行せしめたもので、まさに自動車運転手として、採るべき危険防止の注意義務に反したものである。要するに被告茂木は、バスより南側の道路運転中の自転車の後を徐行する措置さえ採らず、その南側を時速三十四、五キロで追い越したる上時速を減退徐行することもなく、進行し、たまたま世田谷区上馬町一丁目六三九番地先道路で同所に在つた庄衛の避退措置をも採る余裕なく、即座に同人に自動車を激突せしめたものであり、かような事故発生を来さしめたのは、被告茂木において、バス前方を確知しえないのに、徐行による危険防止の処置をも採らなかつた業務上の注意義務違反によるものと断じなければならない。

二、被告会社の損害賠償責任

本件庄衛の致死は被告茂木の業務上過失によるものであるが、この事故当時に、被告茂木は被告会社に雇傭せられて、主に自動車運転事務を担当し、しかもこの事故発生を来たさしめ、自動車は被告会社の所有ではなかつたが、その業務用に賃借使用していたもので、本件事故も又被告茂木に於て被告会社の営業に関し右乗用自動車を使用していたときに生じたものである。故に被告会社も、民法第七一五条により被告茂木の本件事故による不法行為について責任を負うべきものである。

三、庄衛の損害とその賠償請求権相続

1  訴外山添庄衛は昭和一四年頃から鉄工所に勤務し、いわゆるセーパー(型削工)として昭和一八年一月二四日以降株式会社池貝鉄工所三田工場に雇われ会社が企業再建整備法により、同二四年七月一日解散してからは、第二会社の池貝鉄工所株式会社三田工場に引続いて雇傭され来つたものである。庄衛の死亡当時の給与は月二一、一九二円で税引き手取り、一九、〇八一円であり、将来も同会社に雇傭されるに差支えなく、且つ、同人の平均余命は二十七年を下らず、格別の身体障害もなかつたから、少くともこの程度の生存余命は存したものというべきである(厚生省昭和二二年第八回の男子死亡表による三十九歳の男子の平均余命は二七、六四年)

庄衛の給与は前述のとおりであつたが、同人は勤務先の従業員寮たる朝日寮に居住しており、年々の賞与をも斟酌すれば少くとも年間二五、〇〇〇円、残存平均余命二十七年間計六七五、〇〇〇円は同人の残し得べき金額であつた。およそ生命喪失の損害をかくの如き残存推定財産を以てのみ算定することは、生存の悦びに鑑み不当であつて、これは損失の一基準たるにすぎないが、これによつてさえも右のように六七五、〇〇〇円を下らない。

2  庄衛の慰藉料

庄衛は本件の負傷後、勤務先の守衛の訴外須永英一に対し苦しい口惜しいと答えていたし、又本件事故の損害賠償責任者に自己の精神上の苦痛の償いをも念としていた。庄衛は有望会社に勤めて生活の資を得、且つ、同僚先輩の好意ある指導協力により技術も向上しておりその前途は安定していた。同人は農家より出で高等小学校卒業後鉄工関係の業務に従事したこと十五年及びその家庭生活でも妻とらと子三人を有し、日々を楽しんでいたのに突如として交通事故により死亡した有様である。反面、被告茂木は前述のように無暴な操縦をして庄衛に加害した者で、被告会社は昭和十四年の設立に係りその資本額は一三〇万円であるが、月商約二〇〇万円を算し、鋳造業を経営しているものでその工場は約二〇〇坪、事務所倉庫社宅など約一一〇坪を有し、鋳造機械も具備し従業員三〇名を使用営業して来たものである。本件のような突発的事故により、死に致らしめられた精神上の苦痛は以て察せられるべきであり、その慰藉料は人間一代を無にしたことに鑑み、金一〇〇万円を相当と信ずる。

3  中間利息控除と相続

原告とらは庄衛の有する損害賠償債権の三分の一、その他の原告等は各その十二分の二宛(庄衛の死亡当時胎児の正弘(昭和二八年一二月二八日生)がいた)を相続した。そして前示1の六七万五千円は昭和二八年七月二三日以降二七年間に得べかりし無利息の二五、〇〇〇円の利益を標準としているから、ホフマン式方法で計算すれば(年利五分を一年毎に控除)少くとも金四一九、二〇〇円となる。

百円未満の単位切捨てにより当初の一年から計算すれば次のとおり、

1) 23,800

2) 22,700

3) 21,700

4) 20,800

5) 20,000

6) 19,200

7) 18,600

8) 17,800

9) 17,200

10) 16,600

11) 16,100

12) 15,600

13) 15,100

14) 14,700

15) 14,200

16) 13,800

17) 13,500

18) 13,100

19) 12,800

20) 12,500

21) 12,100

22) 11,900

23) 11,600

24) 11,300

25) 11,100

26) 10,800

27) 10,600

―――――

419,200

庄衛の昭和二八年七月二三日死亡により、原告等の相続した前示2の百万円と1及び3の四一九、二〇〇円以上合計一、四一九、二〇〇円の有形無形の損害賠償請求権は前示相続分によつて原告とらは三分の一に当る四七三、〇六六円を、その他の原告等は各十二分の二に当る二三六、五三〇円を各承継取得したものである。

四、原告等の民法第七一一条による慰藉料請求権

1  原告とらは、大正一一年三月二二日生れで黒須岩太郎とその妻すみの三女であつたが、昭和一九年一一月一六日庄衛と婚姻の式を挙げ同月二六日婚姻届出を了したもので、爾来庄衛と和合して原告博司、恵司及び正三の三男を挙げ、日夜を楽しく暮して来だし、自己及び夫と子の将来についても安堵していたところ、はからずもその姙娠中に突如として夫庄衛の事故死亡に逢い、忽ちに目前暗黒に被われてしまつた。その後原告とらは自己の子供達の扶養にも困惑して苦悩去らず見かねた先輩同僚の授助を多としているが、一夕で夫を失つてしまつた原告とらの惨状は言語に尽しがたくこれらの事情と前述のような夫庄衛の年令職業その生活の安定、本件事故の無暴操縦による発現などを斟酌すれば物的及び心的の唯一の拠り所を一挙に崩されてしまつた原告とらの心痛到底表現に堪えず、同原告の苦痛は金銭で補い得ないが、その慰藉料は七〇万円を下らないものである。

2  原告博司は昭和二〇年二月生れ、同恵司は同二三年一〇月生れ、同正三は同二六年一月生れであつて、原告博司は小学校に通学中であるが、いずれも子をいとしむ庄衛にすがりその日々を楽しんでいたのに突如として父親の前述の無惨な事故死亡に面し、これら幼児の精神上の苦痛もまた甚だしき限りであり、父の惨死による苦痛は多年に亘り拭い去られるものではない。これらの事情にかんがみ、原告とら以外の分の慰藉料は原告博司の分四〇万円、同恵司の分三〇万円、同正三の分三〇万円を下らないものと判定されるのを相当と信ずる。すなわち原告等はいずれも、叙上記述の金額の慰藉料請求権を有する次第である。

五、よつて、原告とらは前項三の1.2.3により承継取得した損害賠償請求権のうち四七三、〇〇〇円と前項四の慰藉料七〇万円合計一一七三、〇〇〇円、原告博司は前項三の1.2.3により承継取得した損害賠償請求権二三六、五三〇円と前述四の慰藉料四〇万合計六三六、五三〇円、原告恵司と正三はそれぞれ前項三1.2.3.により承継取得した損害賠償請求権二三六、五三〇円と四の慰藉料三〇万円以上合計五三六、五三〇円を不法行為に基く損害賠償とし、且つ、右金員に対する本件訴状送達の日の翌日である主文第一項記載の各日から完済まで年五分の法定利率による金員を遅延損害金として被告等各自に請求する次第である。と述べた。(立証省略)

被告等は原告等の各請求棄却の判決を求め、答弁として、原告等主張の衝突のあつたこと、これにより原告等主張の日時に訴外庄衛が死亡したこと及び右自動車を被告茂木が運転していたことを認め、その余の原告主張事実は争うと述べ、本件自動車は神奈川県鋳物工業協同組合が被告会社の業務を管理する為借受け、その管理(債権棚上の関係)の為使用していたものであり被告茂木は右協同組合の雇人として自動車の運転をしていたものであり、被告会社の雇人でない。仮りに被告会社の雇人であるとしても、被告茂木がその自動車を運転したのは被告会社の用事でなく、被告会社の工員小黒、吉川両名個人の依頼により同人等の為茂木が運転したものである。又、被告会社は本件自動車を運転した被告茂木の選任監督につき欠くる処がないので、仮りに被告茂木に、本件事故の責任がありとしても、被告会社には損害賠償の義務はない。仮りに、被告会社に於て、選任監督に欠くる所があつたとても庄衛の過失に於て、本件事故を惹起したるものであるから、被告会社には、責任なく又仮りに被告等に事故の責任ありとしても、庄衛にも右過失の責任があるから、損害額において過失相殺さるべきものである。更に亦被告会社に賠償義務ありとしても、原告は庄衛の慰藉料金一〇〇万円を相続したと主張していることについては、庄衛は、被告等に対し、慰藉料請求の意思表示をしたこと無きは勿論、かえつて、被告会社に対し、本件事故は自己の不注意に基くことを陳謝していたものであるから、原告等は庄衛の慰藉料請求権を相続したこと有り得えない。仮りに原告先代庄衛が慰藉料請求の事実があつたとしても右慰藉料と、原告等が別に請求する慰藉料とは何れも、庄衛の死亡を原因とするものであるから、その何れか一方の請求により、他の請求は消滅すべきものである。

仮りに二個の慰藉料の請求権が併存しうるとしても、庄衛の身分、財産並に本件事故に於ける自己の過失等から考えて、原告等の請求金額は極めて不当である。庄衛の過失として、本件事故に於て庄衛は一方に幼少なる原告正三を抱き他に原告恵司を連れ、交通頻繁なるバス停留所付近を横断せんとしたものであつて、幼児を肩にしている以上、十分、自動車その他の通行に注意すべきは勿論であり、そのため道路寄りに一時停止したので、被告茂木は原告等先代庄衛が本件自動車の進行を退避せんとしたものと認めて、徐行して来たこと明白であつて庄衛にも極めて重大なる過失のあつたことは明白である。尚本件事故は被告茂木の運転する自動車が庄衛の身体の一部に触れた処、同人は抱えていた幼児等の体をかばわんとして、自ら顛倒しコンクリート舗装道路上に横顛したため、地上に頭部を打ちつけ脳震盪を起し、内部出血により死亡するの不慮の災厄に至つたものであつて、庄衛一人であつたならば、その災厄は或は軽少ですんだかも分らない。被告会社としては勿論、庄衛の死亡に対しては十分なる弔意を表するものであるが、本件事故が自動車による轢死等と本質に於て大いに異なるものである。これに加えて被告茂木の運転した自動車の速度も原告等主張の如く時速三十四、五キロの速度でなく、僅かに二十八キロ程度であつたことは原告等の挙ぐる甲号証にも明記せられてあり、右程度の時速は今日、バス停留所附近の通過に一般的に許されている徐行と解すべきである。なお又、加害自動車が本件事故発生前警笛を吹奏したことも明白であり、庄衛が幼児を抱えて視界十分でない以上、十分、自動車の警笛に注意して横断すべきは勿論であつて、同人に於ても相当の過失があつたものといわねばならないと述べた。(立証省略)

理由

訴外山添庄衛が原告等主張の日時に原告等主張の自動車事故によつて死亡したこと及び右自動車は被告茂木利二によつて運転されたものであることは当事者間に争いがない。ところで原告等主張の不法行為に基く損害賠償請求権ありや否やについて、争いのある諸点を順次判断する。

1  先ず被告茂木利二が本件事故発生について過失があるかというに、当裁判所の真正に成立したものと認める甲第三、四号証、第七号証の二、第八ないし第一〇号証(但し、第三号証、第七号証の二、第八号証の各記載中後記認定に反する部分を除く)を綜合すると被告茂木は原告等主張の場所に差掛つた際、右交叉点手前の道路左側にバスが停車し、その右側を自転車に大きな荷物を乗せて進行中の人を認めたところ、当時の時速約二八粁の速度そのままで右道路の右側に寄つてこれを追越し、更にハンドルを右に切り道路左側に出ようとしたもので、その時前記中里停留所から数名の乗客が降り右道路を横断しようとして立止まつているのを認識しながら、これ等の通行者の挙動を注視することなく前記速度のまゝで進行を続けたゝめ、間隔約一米前の地点で、訴外山添庄衛が原告正三(当時二歳)を抱き、原告恵司(当時五歳)の手をひいて右道路を横断しようとするのを始めて発見し、急遽、急停車の措置を執つたけれども、被告茂木の運転する自動車の左前部を右庄衛等に衝突させ、右三名を道路上に転倒させるに至つたことを認めることができ、右認定に反する各証拠は措信しない。右事実関係によると、自動車の運転手たる被告茂木としては右のような場合、バス、自転車を追越すとすれば、停留所附近の見透しが利きかねるので、速力を落して絶えず前方を注視して進行すべきであるのに、右前方注視義務を怠り漫然同一速力で進行したゝめ、訴外庄衛等が右道路を横断するのを発見するのが遅れたゝめ急停車の措置も間に合わず衝突の止むなきに至つたものと見るべきであり、被告茂木に運転速力の点及び前方注視義務の点において過失があつたゝめ本件事故が発生したものと解するのを相当とする。よつて、同被告は本件事故について過失による不法行為として損害賠償の責任あるものというべきである。

2  次に、被告会社についてその使用者責任があるかを按ずるに、前記甲第八、九号証、証人神山義行の証言によると、被告は被告会社に運転手として雇われ、その勤務中に被告会社使用中の普通乗用自動車第三ノ二一四四一二号を被告会社の従業員訴外吉川等四人を乗せて運転中、本件事故を惹き起したものであることを認めることができるので、本件事故は被告会社の使用人である被告茂木のその職務の執行中に生じたものと解するのが相当である。被告等は本件事故当時被告茂木は被告会社の雇人でないとか、被告茂木の運転した自動車は訴外神奈川県鋳物工業協同組合が使用していたもので、被告会社の業務として使用されていたものではない旨主張しているけれども右主張を認めるに足る証拠はないので右主張は理由ないものというべきである。(証人神山義行の証言によると、被告会社が右組合の業務管理の下におかれていたことを認めることができるけれども右一事を以て前記認定を覆して被告等の主張事実を認めるには足らず、他にこれを覆すに足る証拠はない。)被告会社は被告茂木の選任監督について相当の注意をなしたから責任がないと主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。以上認定事実からすると被告会社は使用者として被告茂木の本件不法行為について損害賠償の責任を負うべきものと解する。

3  そこで原告等主張の各損害賠償請求権について順次に判断する。庄衛が本件事故により、原告等主張の傷害を受け、そのため原告等主張の日時に死亡したことは原告とらの本人尋問の結果により認められる。そして、庄衛の死亡による財産上の損害についてはその算定の基礎となる原告等主張の各事実は、証人神山義行の証言並びに原告とらの本人尋問の結果からこれを認めることができるので庄衛の得べかりし利益の喪失は、少くとも年間二五、〇〇〇円に達するものと判断するのを相当とする。ところで満三九歳の男子の平均余命は嘱託による厚生省大臣官房統計調査部の回答書によると、少くとも、二七、六四歳であることが認められるので原告等先代庄衛の得べかりし利益の喪失は六七五、〇〇〇円に達するものというべく、原告等主張の如く中間利息を控除すれば少くとも四一九、二〇〇円に達すること計算上明らかであるので、庄衛は右四一九、二〇〇円の損害賠償請求権を有するものというべきである。

しかしながら、被告等は本件事故発生には原告等先代庄衛においても、過失ありと主張するので、その点について判断するに、同人は本件事故発生当時右手に原告正三を抱え、左手に原告恵司を連れて、本件事故発生の現場である交通頗繁なる場所を横断せんとしたものであること、被告茂木の運転する自動車の進行し来るのを知つて立止つた通行人もあつたことは前記甲第三号証、第七号証の二、第八ないし第十号証により十分窺えるところであり、又被告茂木が自転車を追越すとき警音機を鳴らしたことも、甲第八、九号証により認められるところである。(これに反する証拠は措信しない。)以上の事実関係からすると、被害者である庄衛においても本件事故発生について相当の過失があつたものというべきである。よつて損害賠償請求権の額の点について、被告等の主張するように過失相殺として斟酌するのを相当と考える。よつて前記認定の損害賠償請求権はその約三分の一を減じた二七九、五〇〇円とするのを相当とする。

次に庄衛の慰藉料については、これを算定する基準となるべき、原告等主張の各事実はこれも証人神山の証言並びに原告とらの本人尋問の結果から認められるところであるが、前記認定のような右庄衛の過失の点、被告等の資産その他諸般の事情を考慮の上、右慰藉料の額は三〇万円を相当と思料する。次に、庄衛は被告等に対し慰藉料請求の意思表示をしたことなきは勿論かえつて被告会社に対し本件事故は自己の不注意に基くことを陳謝したるを以つて、原告等は庄衛の慰藉料請求権を相続したること有り得ないと被告会社は主張するけれども、原告とらの本人尋問の結果によると、入院先で庄衛は死亡する直前に原告とらに対し、駄目だ口惜しいといつて涙を流したことが認められるので、庄衛において慰藉料請求の意思を有していたものと解するのが相当であり、同人がこれを放棄したとの事実はこれを認めるに足る証拠がないから(この点についての甲第八号証の記載丈では十分といえない。)被告会社の右主張は採用するに由ない。

よつて、右庄衛の各権利を原告とらがその六分の二、その他の原告等は各その六分の一を相続したことは成立に争いない甲第十一号証によつて明らかである。即ち、原告とらは一九三、一六六円(円以下四捨五入)、その他の原告等は各九六、五八三円(同上)の各損害賠償請求権を相続したものである。

次に、原告等の民法第七一一条による慰藉料の額について判断するに、その算定の基礎となるべき原告等主張の事情は成立に争いのない甲第一、十一号証、証人神山の証言、並びに原告とらの本人尋問の結果から認定できるけれども、前認定の庄衛の過失の点、被告等の資産その他の事情を考慮して、その額は、原告とらは二〇万円、原告博司、同恵司、同正三は各一〇万円を相当と考える被告等は原告等自身の慰藉料と庄衛のそれとは両立し得ないと主張するが、右主張は民法第七一一条によつても誤りであること明らかである。

以上を綜合すると結局、被告等は各自、原告とらに対し三九三、一六六円、原告博司、同恵司、同正三に対し各一九六、五八三円及びこれに対する各訴状送達の翌日であること明らかな被告会社は昭和二九年二月一五日、被告茂木は同月二四日以降右金員完済まで民法所定の年五分の遅延損害金を支払うべきであり、原告等の各本訴請求は以上の範囲において正当でこれを認容し、その余の部分は失当として棄却することゝし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条、九三条、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一)

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